ママサロンからコミュニティについて、考えてみました。

子どもが就学するときや、低学年のうちの考えが色々ありますね。

昨日も書きましたが、時代が移り変わり

さまざまなコミュニティができたり、なかったり

セレブ達の始めた、ほぼ赤字だけれどステータスから始まったサロンが

今や、仕事に様変わりしたりと

世の中のコミュニティの形が変わっていったのかもしれません。

ただし、考え方や、その中の基軸となるものは変わっていないようですね。

さまざまな考えがあり、どうこういう事はありませんが

私の子育ては、当時結構批判が多かったようです。

これは、札幌という土地柄もあります。


私の子育て

6っヶ月頃から公文式を始めました。

この時は仕事はしていませんでした。

3歳まではべったり関わろうと思っていました。


3歳から、私自ら学習塾を始めました。

子どもをそばにいて、ひとっりこであったので、他の子の関わりを持ちたかったからです。


小学校4年の時、私自身の仕事の視野も入れて考えました。

福祉の世界は諦められなかったのです。

この時期ボランティアを始めました。

経済的にもお金が必要になりました。

子どものなりたい職業が映画監督で、その環境も整えたいからでした。

また、子どもの思春期を考えるとそこは大事にしたいと思いました。


ほどなくして生意気な長男は

「学校帰りを待たれるのは辛いので、働いてもらえないだろうか。」と言われショックを受けました。

たぶん、長男が帰ってくるのを心待ちにして、帰ってきたら付きまとったからだと思います。


それでも、長男が帰宅するころまでのパートに切り替えました。

そして、資格のための勉強を始めました。


長男は、中学生くらいになると

「お母さんが、勉強してるなら、もう少しがんばろうかな。」と言ってくれたので、私も

さらに頑張れました。


家事は手抜きで下が、食事に関してはできるだけ手作りを心がけました。


長男の夢は以前変わりませんでした。

こんな具合です。


長男は映画ではなくテレビドラマの監督やプロデュースをしています。


子どもも、自分もどうしたら、やりたいことを仲良くできるか考えると

答えはシンプルでした。


ブランドがそれほど興味がなかったことや外で食べることより、家の中の食を大事にしてきました。
当時流行していた友達親子にはなりたくないと思っていました。

自分が親である自覚を、覚悟を持ちたかったからです。